2017年5月15日月曜日

具体的な法案の策定過程(原爆医療法)




厚生省の,昭和31年12月12日付け第一次原案は,直接被爆者を,広島市及び長崎市のうちの一部区域で被爆した者に限定し, それ以外の定義については政令に委任するという内容であり,過度に救済範囲を狭めたものであった。 そのため,第一次原案は訂正され,直接被爆者の範囲は,広島市 及び長崎市の全域並びに両市に隣接する区域において被爆した者に まで拡大されるとともに,原爆投下後に爆心地付近に入った者も, 被爆者として定義された(もっとも,厚生省は,被爆者の定義について試行錯誤をしていたようであり,第7次案では,再び,入市被 爆者の定義を全面的に政令に委任するような文案が作成された 。)

その後,厚生省における検討結果を集大成したともいえる 「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(途中整理案) 」が策定された。この段階では,直接被爆者(1号)及び入市被爆者(2号) の定義は,実際に制定された原爆医療法の定めと同様の形となっていたが,3号については 「前2号に掲げる者のほか,これに準ずる状態であった者で,原子爆弾による放射能の影響を受けたお それがあるとして政令に定めるもの」という表現が用いられていた。

上記途中整理案について,厚生省内部において審議が行われたところ,その場では,原爆被爆者に限って国の責任において健康診断等を行う理由として,

①被爆者の医学上特異な傷害が休火山 のような状態で法案策定当時まで続いていること
②上記の傷害 が戦争によって惹起されたこと

が指摘された。さらに,1号の定 義には胎児被爆者が含まれていたにもかかわらず,2号及び3号の定義には胎児被爆者が含まれないことや,被爆後に胎児となった者が「被爆者」に含まれないことについて,健康管理を主目的の一つとするという観点からは疑問もあるという指摘がされた。
  こうした審議経過からは,原爆医療法の主目的の一つが健康管理にある以上,医学的知見に拘泥せずに,放射能の影響を受けた おそれがあると考えられる者をできる限り広く被爆者として取り扱い,将来にわたって健康を管理するべきであるという考えがあったことがうかがわれる。

前記途中整理案に続いて策定された昭和32年2月7日付け法律案では,3号の文言は 「前2号に掲げる者のほか,これらに準ずる状態にあった者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがあると考えられる状態にあった者」というものに改められ,3号に関しては政令への委任を行わないものとされた。
また,上記法律案においては,2号及び3号所定の者が当該各号に 規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者も 「被爆者」 に含まれることとなった。
3号被爆者に関して政令への委任を行わないものとされたことは,法所管庁である厚生省が,原子爆弾の放射線の影響を受けた おそれがあると考えられるような外部的事情について,被爆者ごとに個別具体的に判断することを念頭においていたことを意味する。
このような方針が採用されたのは,原爆医療法の主たる目的は,当時の医学では原爆放射線の影響が解明されていなかったことにかんがみ,原爆の影響を受けたおそれのある者について健康を管理し,いつ原爆症を発症するか分からないという被爆者の不安を和らげることであったため,不十分な当時の科学的知見に基づいて原爆の影響を受けたおそれがある者を政令において具体的に列挙するのではなく,抽象的な条項を設け,将来,新しい医学的知見をも踏まえた上で原子爆弾の影響を受けたおそれがあるか否かの個別具体的な判断を行うことを可能にする方が,原爆医療法の趣旨・目的に適合すると判断されたためであろうと思われる。
3号の文言は,内閣法制局における予備審査の過程を経て 「前記  1、2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下に あった者」と改められた。
これは,熱線や爆風による被害者は基本的には1号,2号によ って網羅されると考えられたことによるものであろうと思われる。
なお 「受けたおそれがあると考えられる状態」という表現が「受けるような事情」という表現に変わったのは,前者が法文として 不適切な表現であると判断されたためにすぎず,上記の変更は, 何ら,3号の内容の実質的な変更(あるいは3号によって救済される範囲の狭小化)を意味しない。
 以上において検討した法案の策定過程からは,

①原爆医療法によ って救済するべき被爆者として,典型的には1号の直接被爆者及び 2号の入市被爆者が想定されていたこと
②その他の者についても 被爆者の健康を管理し被爆者の不安を和らげるという観点からの救 済を広く行うべく,3号が規定され,しかも,原爆医療法の趣旨・ 目的をより達成しやすいように,3号の対象となる者の範囲について政令で具体的な規定を設けることがあえてされなかったこと

が分かる。
(オ) 原爆医療法案に関する国会での審議国会での審議においては,原爆医療法案の2条3号について,同号を設けたきっかけは,原爆投下時に爆心地から5km以上離れた海上で,輻射を受けたというような人や,爆心地から5km以上離れたところで死体の処理に当たった看護婦あるいは作業員らが,原子病を起 こしてきた例があるため,それらの者をも救済する必要があると考えられたことにあるという説明がされた。
この説明からは,3号が,1号や2号に含まれない被爆者を救う補 完的規定であること,3号が設けられたきっかけは,1号や2号の要件に当てはまらないが,その後「原子病」を起こした人がいることにあったことが分かる。





 原爆医療法制定当時の放射線の人体影響に関する科学的知見等
a 都築正男(以下「都築」という )による報告

都築は,昭和29年2月に発表した論文において 「慢性原子爆弾症の人々のうちには,第一次放射能のほかに中性子の作用に基づく誘導放射能,特に体外誘導放射能の影響と,原子核分裂破片 の作用とを蒙っているものと考えなければならないものも少なくないと思うが,これらの第二次的ともいうべき放射能の作用はその強さは極めて微弱ではあるが,その生物学的作用は或る場合には無視することが出来ないと思う 」と述べた。また,都築は,原爆投下時に初期放射線の影響をまったく受けなかった者が,その後爆心地に入った場合に,急性症状や慢性原子爆弾症の症状を訴える例は少ないが,原爆投下時に初期放射線の影響を少しでも受 けた者の中には,その後爆心地に入り,残留放射線の影響によって急性症状を発症した者が多数おり,そうした者は,慢性原子爆 弾症になる可能性があるとも述べた。そして,都築は,上記の点を踏まえて,個々の被爆者が相当の放射線の影響を受けたか否か は,①初期放射線による傷害の程度,②急性放射線病の発現の有無,③残留放射線の影響の3点を基準として判断するべきであると結論付けた。
上記のような報告内容からは,原爆医療法が制定された段階 おいて,既に,初期放射線のみならず,残留放射線もまた,人体 に何らかの影響を与えるものと考えられていたことがうかがわれる。
都築は 「原子爆弾の傷害とは直接関連性のないもののあるかも知れないが,明らかに多数の人々を殺傷した傷害威力による影響であるから,幸いにして死を免れ得た人々にもある程度の傷害を 与えたことは疑う余地はあるまい。その意味において後障害症の 問題はますます重大なこととなるべきものといわなければなるまい 」と述べた。
これは,原爆放射能の影響による傷害,すなわち 原爆症の範囲が,その後の科学的知見の進展によって広がること を示唆したものであったといえる。
 都築は 「庇護的の手段によって平穏な生活を続けるように」するためには 「狭義の医的 , 庇護だけでなく,社会保障的の養護もまた甚だ肝要である」として,国費による医療給付の必要性のみな らず,生活援助の必要性にも言及した。
また,都築は 「原子爆弾 , 傷害の後障害症として現在最も注目せられている血液疾患,たと えば白血病や再生不能性貧血等,或はリンパ組織系等の腫瘍性増 殖状態等のことが慢性原子爆弾症を土台として発生するか否かの問題は,医学的になお未解明であるが,これらの後障害症は何れ も慢性原子爆弾症の発生と同一条件におかれた人々の間から見出されている」から「臨床医学の立場からするならば慢性原子爆弾 症の人々には常に注意を与え,その生活に破綻を来して悪性後障害症発生の誘因を作らないように努めさせるべきである」として  健康診断の必要性を訴えた。

こうした考え方は 「いかなる疾患又は症候についても一応被曝との関係を考え,その経過及び予防について特別の考慮が払われなければならない」という考え方をうたった,厚生省による「原子爆弾後障害症治療指針」にも反映されたものである。


上記においてみたように,原爆医療法制定当時,既に初期放射線 や残留放射線が人体に影響を及ぼすであろうと考えられていたことは明らかである。ただ,当時の科学的知見では,放射線の人体に対する影響は未だ十分に解明されていなかったため,科学者によって も,後障害の予防の観点から,健康診断や生活保護の必要性が訴えられていたものである。