2017年5月10日水曜日

「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」厚生省公衆衛生局長通達



原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について



(昭和三三年八月一三日)
(衛発第七二七号)
(各都道府県知事、広島・長崎市長あて厚生省公衆衛生局長通達)


標記の要領を別紙のとおり定めたので、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律による健康診断については、今後この要領を参考として実施されたい。

原子爆弾被爆者健康診断実施要領
この要領は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律に基き、被爆者の健康診断を行うに当つて考慮すべき事項を定めたものである。

一 総論
昭和二○年広島及び長崎の両市に投下された原子爆弾は、もとより、世界最初の例であり、従つて核爆発の結果生じた放射能の人体に及ぼす影響に関しても基礎的研究に乏しく明らかでない点がきわめて多い。
しかしながら被爆者のうちには、原子爆弾による熱線又は爆風により熱傷又は外傷を受けた者及び放射能の影響により急性又は悪急性の造血機能障害等を出現した者の外に、被爆後一○年以上を経過した今日、いまだに原子爆弾後障害症というべき症状を呈する者がある状態である。
特に、この種疾病には被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認めるものと、一見良好な健康状態にあるかにみえながら、被爆による影響が潜在し、突然造血機能障害等の疾病を出現するものとがあり、被爆者の一部には絶えず疾病発生の不安におびえるものもみられる。
従つて、被爆者について適正な健康診断を行うことによりその不安を一掃する一方、障害を有するものについてはすみやかに適当な治療を行い、その健康回復につとめることがきわめて必要であることは論をまたない。
しかしながら、いうまでもなく放射能による障害の有無を決定することは、はなはだ困難であるため、ただ単に医学的検査の結果のみならず被爆距離、被爆当時の状況、被爆後の行動等をできるだけ精細には握して、当時受けた放射能の多寡を推定するとともに、被爆後における急性症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は症状が原子爆弾に基くか否かを決定せざるを得ない場合が少くない。
従つて、健康診断に際してはこの基準を参考として影響の有無を多面的に検討し、慎重に診断を下すことが望ましい。

二 各論
原子爆弾後障害症のうち、熱傷瘢痕異常等外科領域における傷害又は疾病に関しては、健康診断にあたり、これが原子爆弾の熱線又は爆風に起因するものであるか否かを判断することは比較的容易であり、また、かかる傷害又は疾病が放射能の影響のため治癒能力を阻害され、医療を要するか否かについても、一般の傷害又は疾病に照し合せて考慮すれば足りるものであるので、ここでは、主として原子爆弾の放射能による内科的疾病に関して記載することとする。

被爆者の健康診断を行うに当つて特に考慮すべき点は、次のとおりである。

(一) 被爆者の受けたと思われる放射能の量
原子爆弾の放射能に基く疾病である限り、被爆者の個々の発症素因、生活条件等は別として、被爆者の受けた放射能の量が問題になることはいうまでもない。
しかし、現在において被爆当時にうけた放射能の量をは握することはもとより困難であるが、おおむね次の事項は当時受けた放射能の量の多寡を推定するうえにきわめて参考となりうる。
1 被爆距離
被爆した場所の爆心地からの距離が二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルのときは中等度の、四キロメートル以上のときは軽度の放射能を受けたと考えてさしつかえない。
2 被爆場所の状況
原子爆弾後障害症に関し、問題になる放射能は、主としてγ線及び中性子線であるので、被爆当時におけるしやへい物の関係はかなり重大な問題である。このうち特に問題となるのは、開放被爆としやへい被爆の別、後者の場合には、しやへい物等の構造並びにしやへい状況等に関し、十分詳細に調査する必要がある。
3 被爆後の行動
原子爆弾後障害症に影響したと思われる放射能の作用は、主として対外照射であるが、これ以外に、じんあい、食品、飲料水等を通じて放射性物質が体内に入つた場合のいわゆる体内照射が問題となり得る。従つて、被爆後も比較的爆心地の近くにとどまつていたか、直ちに他に移動したか等、被爆後の行動及びその期間が照射量を推定するうえに参考となる場合が多い。

(二) 被爆後における健康状況
前述の被爆者の受けたと思われる放射能の量に加えて、被爆後数日ないし、数週に現われた被爆者の健康状態の異常が、被爆者の身体に対する放射能の影響の程度を想像させる場合が多い。すなわち、この期間における健康状態の異状のうちで脱毛、発熱、口内出血、下痢等の諸症状は原子爆弾による障害の急性症状を意味する場合が多く、特にこのような症状の顕著であつた例では、当時受けた放射能の量が比較的多く、従つて原子爆弾後障害症が割合容易に発現しうると考えることができる。

(三) 臨床医学的探索
臨床医学的探索にあたつては、原子爆弾後障害症として最も発現率の高い造血機能障害の検査の主体をおくほか、肝機能検査、内分泌機能検査等をもあわせて行う必要のある場合がある。
また、異常については、この異常が放射能以外の原因に基くものであるか否かについては、詳細に検討を加えたうえ、一応考えられる他の原因を除外して後においてはじめて放射能に基くものと認めるべきであり、従つて、この鑑別診断を行うにあたつては、尿検査、糞便検査、X線検査その他必要ある検査はもちろん十分に行わなければならない。

(四) 経過の観察
原子爆弾後障害症の一部、例えば、軽度の貧血や白血球減少症のようなものでは、所見が一進一退する場合が往々にしてみられるので、被爆者の健康について十分に経過を観察する必要がある。