2016年12月15日木曜日

原爆医療法(1)第29号 昭和32年3月25日

第29号 昭和32年3月25日

まず、二条の一項の二号です。「原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内」にという、この「政令で定める期間内」を一体どういう工合に定めるかということをまず御説明願いたいと思います。
○山口(正)政府委員 これは私ども一応専門家の方々の御意見を聞いて、政令案を今作りつつあるわけでございますが、おおむね投下後二週間というふうに考えております。
○滝井委員 そうしますと、広島あるいは長崎に原子爆弾が落ちてから、投下後で二週間以内、こういうことになるわけですね。そうしますと、その二条の三号との関係で、三号に「前二号に掲げる者のほか、原子爆弾が投下された際又はその後において、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」と、こうあるわけです。従って、この法律は、佐竹さんからもいろいろ御質問になっておりましたように、長崎あるいは広島に投下された原子爆弾の被爆者ばかりでなくして、二条の三号によって、いわゆるソビエトなり、あるいはアメリカなり、イギリスなりの原爆、水爆の実験による放射能の影響を受けた者、並びに日本国内における宇治とか、あるいは茨城県の東海村等において放射能の影響を受けた者、こういう者についても、これは適用されることになるのかどうか、お伺いいたします。
○山口(正)政府委員 それは第一条にこの法律の目的がございまして、それにはっきり「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が」云々となっておりますので、ただいま滝井先生が御指摘のような広島、長崎の昭和二十年八月六日及び九日の原子爆弾の投下、あの事件以外のことは考えておりません。
○滝井委員 そうしますと、二条の三号の文章をお読みになってごらんなさい。「その後において、原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」となっております。そうしますと、放射能の影響というものは、あなたの今おっしゃったように、政令で定める期間というものは、投下後二週間ときまっておるわけです。それは長崎で明らかに落ちた原子爆弾の放射能の影響を受けておるわけです。ところが「その後において」ということは、これはその投下された際とか、あるいはその後残っておる放射能の影響を受ける、こういうことなんですか。
○山口(正)政府委員 この法律を適用されます被爆者と申しますのが一、二、三、四に該当するものでございまして、第一は、投下されたそのときに、広島市、長崎市または政令で定める区域――これは爆心地から大体五キロくらいの区域を考えておるわけでございます。
それから第二は、その爆弾が投下されたときには、この広島市、長崎市にはおりませんでしたけれども、今、二週間と申し上げましたが、二週間の期間の間に入ってきて、そうして遺骨を掘り出したとか、あるいは見舞にあっちこっち探して回ったとかいうような人を考えております。その際には、爆心地から二キロくらいというふうに考えております。これも専門家の意見を聞いて、大体そういうふうに考えておるわけでございます。
第三は、その一にも二にも入りませんが、たとえば投下されたときに、爆心地から五キロ以上離れた海上で、やはり輻射を受けたというような人も、あとでいわゆる原子病を起してきております。そういう人を救わなければならないということ、それからずっと離れたところで死体の処理に当った看護婦あるいは作業員が、その後においていろいろ仕事をして、つまり二の方は二キロ以内でございますが、それよりもっと離れたところで死体の処理をして、原子病を起してきたというような人がありますので、それを救うという意味で三を入れたわけでございます。
それから第四は胎児でございます。
そういうふうなことで、ただいま滝井先生のおっしゃるように、「その後において」というのを無限大に考えてということでございませんので、やはり広島、長崎の原子爆弾投下と直接関連を持たして解釈しておるわけでございます。


第39号 昭和32年5月15日

○安井郁参考人それに入ります前に、その法律において明らかにされました一点は、ここであらためて指摘しておく必要があると思います。その法律の中で、被爆者の定義を下しているわけであります。その被爆者の定義の中で、原爆投下の二週間内に爆心地より二キロ以内の地域にあった者は、やはり被爆者に入るということが書いてあるわけであります。被爆後爆心地付近に入ったり、三キロ内のところを通過して、第二次放射能を受けた者がこれに該当すると書いてあります。申すまでもなく、広島では八月二十日、長崎では八月二十三日、つまり原爆投下から二週間以内、そういう地域に入った者、そうして第二次放射線の障害を受けた者、これが被爆者になるという事実、これは単に原爆投下のときに、その広島、長崎にいたというだけではなくて、その後二週間以内にその地域に入った者も第二次放射能を受ける可能性がある、そうして今回の医療法においてはっきりそれを取り上げたという事実、それが普遍に考えられている被爆老の範囲よりさらに広い範囲において、われわれは被爆者の問題を考えなければならないという国会の慎重審議によるこの被爆医療法によって明らかにされたことであります。この点もまた、いまだ国民の間で広く認識されていないようでありますけれども、被爆の問題はそれほどのものであるということを、この医療法成立の機会に、私たちはもっともっと国民及び全世界に知らせる必要かあるのじゃないかと思います。これはすなわち第二次放射線の問題なのでありまして、ここに私はきわめて深刻な問題がある。もし将来原爆投下等が行われたならば、そのときに死滅する者、それから起るところの第二次放射能の問題、それもきわめて深刻である。それからすでに広島、長崎でのわれわれの悲痛な実験の中で、今度国会を通過した被爆者医療法の中で、こういうふうに取り上げられたということを、私はここで指摘しておく必要があると思うのでありまして、そういう形で非常に重要な被爆者医療法がここに成立いたしました。


第23号 昭和35年4月7日

次いで、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由を御説明申し上げます。
昭和二十年八月広島市及び長崎市に投下されました原子爆弾の被爆者につきましては、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律によりまして、被爆者に対し健康診断を行ない、また、いわゆる原爆症の患者に対しては、医療の給付を行なって、その健康の保持及び向上をはかって参ったところであります。
しかしながら、原子爆弾の放射線を多量に浴びた被爆者にありましては、放射能の影響により、一般的に負傷または疾病にかかりやすいこと、負傷または疾病が治癒しにくいこと等の事情にあるのみならず、それらの疾病にかかったことによって原爆症を誘発するおそれもあるのであります。従って、今回、これらの被爆者に対しましては、原爆症以外の負傷または疾病についても、国が必要な医療の給付を行なうことによってその健康の保持、向上をはかろうとするものであります。また、いわゆる原爆症患者につきましては、現行法によって、国が必要な医療の給付を行なっているのでありますが、今回さらに一定の所得以下の者については、その医療を受けている期間中毎月二千円を限度として医療手当を支給することとし、これらの被爆者か安んじて医療を受けることができるようにしようとするものであります。以上がこの法律案を提出いたしました理由であります。何とぞ慎重に御審議の上、すみやかに御可決あらんことをお願いする次第であります。
○委員長(加藤武徳君) ただいま提案理由の説明のございました二法案につきまして政府委員から細部説明を聴取したいと思います。
まず原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、尾村公衆衛生局長から細部説明を願います。
○政府委員(尾村偉久君) 今般の改正の要点につきまして御説明申し上げます。
その第一は、一般疾病医療費の支給でございまして、国は原子爆弾の放射線を多量に浴びた被爆者で、政令で定める者が、いわゆる従来の原爆症並びに遺伝性疾病、先天性疾病、及び厚生大臣の別に定める疾病以外の疾病につきまして、医療を受けた場合におきまして、その者に対してその医療に要した費用額を限度といたしまして、一般疾病医療費というものを支給できるようにすることであります。ただし、その有が当該疾病につきまして、被保険者ばいしは被保護者等でございまして、社会保険各法ないしは国――公費による結核予防法等の保護を受けた場合には、その受けることができ、または受けるはずでありますところの限度におきまして、それを控除した残りの自己負担の部分について、医療費を支給することにいたしたことでございます。この点は、国民健康保険法の場合にも、書き方が達っておりますが、全く側様な趣旨によりまして、本人の負担分を、本改正の要領によりまして支給することにいたしております。また、この場合に、被爆者に対しましては、医療費の支給ということになっておりますが、被爆者の便宜を考えまして、被爆者が受ける一般疾病医療機関について医療を受けた場合には、現物給付の取り扱いができるようにしておるここでございます。また、前項の被爆者一般疾病医療機関は、現行法によりますいわゆる原爆症の指定医療機関とは別に、広く都道府県知事が指定して、便宜をはかるようにいたしておることでございます。
次に、医療手当の支給でございますか、現行法によるいわゆる原爆症の認定患者のうち、一定の所得以下の者に対して、これは政令で定めて、その資格を定めることになっておりますが、月額二千円を限度といたしまして、認定医療を受ける期間中、医療手当を支給できるようにいたしまして、保護の万全を期している次第でございます。



第17号 昭和36年5月11日

○河角説明員 ただいまお話がありました、広島、長崎の原爆の被爆者に対します医療関係の法律の中身について御説明申し上げます。
原子爆弾被爆者の医療等に関する法律というのが昭和三十二年三月に制定いたされまして、昨年、ただいま御指摘の通り一部改正を受けておるわけであります。その内容につきましては、国が原爆被爆者の現在置かれております特別の状態にかんがみまして、健康診断及び医療を行ないますことをこの法律ではうたっておるわけでございます。その場合に、被爆者というものを一応この法律で定義いたしておりまして、原子爆弾が投下されました際に、当時の広島市、もしくは長崎市の区域内または政令で定めるこれらに隣接する区域内にありました者、大体大ざっぱに申し上げますと四キロないし五キロくらい、爆心地を中心にいたしまして円を描きまして、その範囲にありました者、これを私ども直接被爆者と申しております。それから、第二番目に、原子爆弾が投下されましたときから起算をいたしまして――これも政令で期間を定めておるわけでございますが、二週間以内の間に――これも一番最初に申し上げました直接被爆者の区域をさらにしぼったものでございますが、爆心地から二キロぐらいのところに出入りをいたした、これも被爆者というふうに定義してございます。それから、第三番目に、今まで申しました者のほかに、要するに、原子爆弾が投下されました際に、たとえば、死体の焼却でございますとか、あるいは死体その他、特別に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情にあった者を第三番目に掲げております。それから、以上の者が被爆した際に胎児であった者、これを第四番目に掲げております。以上が大体被爆者の範囲で、これらの被爆者は、都道府県知事の手帳を交付することによって認定いたしておるわけであります。現在約二十一万人ほど、そのうちで、広島、長崎の市、県を含めますと十八万人ぐらいが現在も広島県、長崎県に住んでおる者であります。
これらの被爆者に対しまして、この法律ではどういうことをやっておるかといいますと、まず、最初に、健康診断でございます。これは年に二回、政令のきめるところによりまして健康診断をいたしております。健康診断の際に、特に精密検査を要するような者は、さらに精密検査をいたすというようなことで、一般の健康診断と精密健康診断、こういう二段がまえで健康診断をいたしておるわけでございます。それから、さらに、精密検診の結果、原子爆弾の放射能に起因いたしまして疾病にかかり、あるいは負傷して治療を要するような状態にあります者は、これに対しまして国が医療費を給付いたしております。これは現在約二百ばかりの医療機関を指定いたしまして、その中に、御承知のように広島、長崎の原爆病院がありますが、そこで医療をすることになっております。これが医療にかかります場合には、あらかじめ、当該の負傷または疾病が、原子爆弾の障害作用に起因しておるということを厚生大臣が認定しなければなりませんが、その場合に、大へん医学的に困難な認定でございますので、法律で原爆被爆者医療審議会というものを厚生省の中に置きまして、そこにかけまして認定をいたしておるわけでございます。
ただいま申し上げましたのが、三十二年度にでき上がりました当初の法律の内容の概略でございますが、さらに、これが昨年の国会で改正されました。改正されました原因としましては、原爆被爆者審議会の認定にかかりまして、いわゆる原爆症と申しておりますが、原爆症と認定されますのに非常にむずかしい問題がございますので、現在約五千人くらいでございますけれども、その認定に漏れます方々の中で、かなり疾病に苦しんでおられる方があるようでございます。それから、原子爆弾の影響で疲れやすいとか、あるいは根気が続かないというようなことで、からだの不調を訴えておられる方もございます。そういうような方々を何とか手を広げて救えないかということで、それを主眼にして改正されましたのが昨年の改正でございます。その中身は、先ほど申し上げました約二十一万被爆者の中で、さらに、かなり高度に放射線の影響を受けておるというものを、法律上特別被爆者という制度を作りまして、これが実数で現在のところ約四割五分くらいでございますが、そのような方々に対しましては、除かれました特別の疾病以外の普通の疾病にかかりました場合に、その医療負担がかからないようにしてあげようということで、例を引いて申し上げますと、たとえば、健康保険にかかっておられる方が、家族が特別被爆者であるという場合は、御承知のように半額出すわけでございますが、そういう自分のふところから持ち出す分を、国が医療費としてカバーしてやるというような制度を作りまして、これは昨年の八月から施行になっておるわけでございます。
それから、もう一つは、改正前の法律で認められておりますいわゆる原爆症患者が、原爆医療を受けております間働けなくて困っておるというような場合に、一定の所得制限を設けまして、それ以下の所得であります場合には、月額二千円程度の医療手当を支給することにいたしました。これが昨年の改正の第二点でございます。
それで、話が前後いたしますが、特別被爆者を、しからばどういうふうに認定したのか、どういうふうなことできめたのかということになるわけでございます。これは政令できまっておるわけでございますが、一応爆心地から二キロ以内で被爆されました被爆者、これを推定いたしまして、この方々を特別被爆者といたしました。それから、それ以外のところで被爆されました方々でも、原爆症に一たんかかりました方々で、治癒いたされましたあとも原爆症を発するぐらいの放射能を受けたというような方々については、それ以後の疾病を、今言ったようにカバーするということで認定いたしたわけであります。
それから、さらに、二キロ以外で被爆されました方々でも、その中で、二キロ以内の地に二週間以内にお帰りになっていろいろ行動されたというような方々に対しましては、健康診断の結果、ある種の症状を起こしておるといいますような場合には、それも特別被爆者というようなことで、この中に含めるというようなことにいたしております。その特別被爆者の現在までの数は、先ほどお話しいたしました全体の約二十一万の被爆者のうちで約四割程度、八万ぐらいの数になっております。
以上が一応法律の内容でございます。
○岡委員 現在治療を受けておられる方は、特別被爆者あるいはそれ以外の被爆者でどのくらいおられますか。
○河角説明員 特別原爆症として認定されております法律改正前の患者は、累計でございますが、約五千人程度、それから、一般疾病の特別被爆者の場合でございますが、これは医療費払いで、件数で出て参りますので、人数はまだ的確には把握しておりませんけれども、先ほど申しましたように、被爆者のうちの約四割の八万人が特別被爆者ということで、かぜを引いたり、普通の病気にかかりました場合には、医療にかかっておるという状態であります。
○岡委員 原爆症というのは、具体的にどういう病気をさしていますか。
○河角説明員 ただいままで原爆症と認定されました約五千人の患者の疾病分類を見てみますと、そのうちの約六五%が血液関係の疾病で、たとえば、再生不良性貧血でございますとか、あるいは白血球の異常とか、あるいは白血病というような血液関係の疾病が約六五%であります。それから肝疾患、肝臓機能障害が一六%くらいでございます。それから悪性新生物、これが二・七%くらいになっております。そのほか内分泌関係の異常、それがごくわずか、それから、当初はかなり白内障その他目の疾患とか、外傷性疾患、ケロイドその他でございますが、そういうようなものがございました。現在のところ、眼疾患はかなり減りまして約三%であります。それから外傷関係が一〇%くらいというような疾病分類になっております。
○岡委員 十年を経て病気が出てきておるというようなケースはどれくらいありますか。
○河角説明員 認定疾患に、現在月々出て参りますものにかなりございまして、大体審議会を年に六回程度やっておりますけれども、それまでにたまりますのが、多いときは四百件くらいございます。もちろん、これは全部審議会におかけするわけでございません。三十二年に法律ができまして、疾病類型といいますか、そういうものがある程度固まっておりますので、そのうち、特に問題になりますものを二十件内外ずつおかけするというような状況でございます。
○岡委員 そうすると、大体十年経ても二千五百件くらいは申請があるというわけでございますね。それから、遺伝的な障害、これはどう取り扱っておられますか。
○河角説明員 これは、今のところ審議会で取り扱っておりません。それから、特別被爆者の一般疾病の場合でも、遺伝的疾病と先天的疾患、そういうようなものは除いております。
○岡委員 あなたの方は専門だと思うのですが、どうですか、広島、長崎のケースの場合で、遺伝的な障害というものは、どういう種類のものがどの程度出ておりますか。
○河角説明員 蟻田技官にお答えしていただきます。
○蟻田説明員 遺伝的の状況につきましては、各方面でいろいろ調査研究をやっております。その結果によりますと、たとえば、研究の方といたしましては、広島市の被爆者の妊娠せられたお母さん方を登録しておきますとか、それから、新しく被爆者から生まれました新生児の先天的異常状況はどうかというようなことを調べております。その結果によりますと、大体、たとえば、ここ四年間ばかりの間で二万七千件ばかりの新生児についての先天性異常を探しております。この先天性奇形の発生率でございますが、この発生率は、多量に被爆を受けました被爆者の群からの発生率と、被爆を受けていない正常な群からの発生率との間で差は認められておりません。現在のところでは、遺伝的な状況は、先天性異常につきましては、被爆者のうちに特にその差が認められていないといってよろしいかと思います。
○岡委員 ミクロセファルスなどが長崎や広島でかなり統計的に多いということを新聞なんかで見ましたが、あれは、そうすると何かの誤伝なんですか。
○蟻田説明員 ミクロセファルス、小頭症でございますが、これは、今企画課長から御説明申し上げました四号の被爆者、すなわち、被爆の場合に母親の中におりました胎児であります。この胎児の中で、頭の径囲が短いという人があったということは確かにございます。しかし、これは胎児の場合の影響でございまして、遺伝的影響でないということになっております。
○岡委員 なくなった場合に、どういうふうな給付があるのですか。
○河角説明員 死亡時の給付につきましては、この法律では別に規定はございませんので、そのままになっております。
○岡委員 それでは、いわゆる原爆手帳を持っておる人の中で死亡された方、少なくとも、原爆に基づくと認められる者は、ここ三年間くらいに大体年何名くらいになっておりますか。
○河角説明員 主として認定患者にしぼられるわけでございますが、現在までのところ、約五千名の認定患者のうちで、三十二年度から三十六年、主として三十五年まででありますが、こちらへ届け出られました者が二百五名となっております。それから、医療を中止いたしました者、これははっきり治癒したのであるか、あるいは症状が固定してだめになったものであるか、これははっきりしませんが、いずれにしても、医療を中止いたしました者が、届け出では約百名。
それから、先ほどの十年たって年間どのくらい新しく発生するかという御説明で、私は、医療患者の取り扱いで御説明いたしましたが、一応年次別に認定いたしました数がございますので、それを申し上げれば、どのくらいふえるかということがわかるかと思いますので、御参考までに申し上げますと、三十二年、これは法律の始まりました年でございますが、千九十一名の方に認定いたしましたのが、三十三年では千六百八十二人、これは千九十一人にプラスであります。三十四年だけでは千十三名、三十五年では千百九十二名というようなことでございまして、ただいまのところ、大体年々千名程度が新しく加わっている、こうお考えになればよろしいのじゃないかと思います。
○岡委員 治療ですが、これは専門の蟻田さん、あるいは企画課長からでもお答え願えればと思います。ビキニ患者の臨床的、血液学的研究という熊取博士あたりの御発表になったものですが、これを見ると、重症患者では、輸血が全部で二千七百cc、プラズマが二千六百cc、これは救急な措置としては必要かと思いますが、そのほか、リンゲルが五百ccを十数回、五%のブドウ糖五百ccを五十八回、五〇%のブドウ糖四十ccを十数回、そのほか、ビタミンK、C、P、ルチン、ビタミンB1、B6、B12、それから、ペニシリン、ストレプトマイシン、アクロマイシン、こういうものを注射して疾病を予防しておるが、普通、健康保険とか国民健康保険の従来の治療指針では、割合こういうことが制限をされておるわけですね。だから、ビタミンの注射というようなものはかなりストリクトに制限されておる。それから、血液病があるからといっても、ビールスが入って化膿するという、いわば間接的な障害をあらかじめ予防するためのペニシリンやストレプトマイシンの使用というものも、実は制限されておるわけですね。ところが、この放射能障害者にはこういうものをどんどんやっていかなければならないという状態にある。こういう点は、やはり思い切りやらせておりますか、それとも、健康保険や国民健康保険の治療指針通りの治療しか受けられないということになっておるのですか。
○蟻田説明員 思い切りやらせておると申し上げてよろしいと存じます。詳細には、たとえば、原子爆弾の後障害症の治療指針というものを原爆医療審議会に諮りまして、この治療指針に従いましてやったと思いますけれども、この場合の治療指針と申しますものは、原爆症の特異性にかんがみまして、相当いろいろの治療をやることができるということになっております。
○岡委員 治療指針にそういう特例があるわけですね。


○岡委員 長官もこられましたので、ちょっと長官にお尋ねしておきたいのですけれども、実は、今、厚生省の方においでをいただき、厚生省では、昨年の国会で長崎、広島における被爆者の医療に関する法律という法律を作られて、国会で成立しておるわけです。大体爆心地から半径五キロ以内くらいの住民約二十一万に原爆手帳というものを交付する、それから、さらに、原爆症をその後起こしたという既往症のある人たちには、特別の被爆者ということで認定をする、それで十年後でも十五年後でも、病気になれば、特別被爆者ならば、他の病気でも、やはり健康保険の家族の半額負担とか、国保の半額負担を免除して、全額国が見る、また、ぶらぶらと働けないというような状態になっている人もあることだしするから、そういう方には、ある程度の所得の制限を設けて、月二千円を出すというようなことです。しかも、ここ三十五年までの三十二、三十三、三十四、三十五と、大体新患が千名以上出ておるのです。しかも、なくなった方がその三年の間に三百名近く、二百六十名ほどあるのです。そういうように、放射能による人体の犠牲というものは非常に大きい。


第2号 昭和38年12月12日

○赤松委員 社会保障の対象にならぬという答弁であります。このことをよく社会党は記憶をいたしまして、そうして国民に正しく伝えたいと思います。
なお、本会議におきまして、原爆裁判の問題に関連して、わが党の質問に対しまして池田総理の御答弁がございました。その御答弁によりますと、原爆被爆者に対しては医療その他の措置は適切に講じている、このように答弁をされております。ここで特に広島が選挙区である総理にお考えを願いたいと思うのでありますけれども、現在、原爆被爆者に対しましては、昭和三十二年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律という法律がございますが、医療給付だけなんですよ、それは。あとは生活保護でもってやっているわけなんですね。だから、やはり私はこの際総理に考えていただきたいのは、この援護法――生活のめんどうを見る、生活を保護するという援護法、被爆者に対する援護法、これをつくる意思があるかないか。特にまた、この医療給付につきましても非常に不十分でございまして、いまどれくらいにそれが行なわれておるかといえば、大体最近三カ年の検査成績を言いますと、一般検査は三十六年で十二万二千六百八十六人、それが三十七年になって十七万人にふえております。年々ふえつつあるのです、この被爆者が。あとからあとから病気が出てまいりますから、だんだんふえつつある。それからこれに対する手当はどうか。これに対する手当はどうかといえば、医療給付でもって大体一カ月、二週間以上入院した者に対しまして、入院雑費として二千円です。それから外来患者ですね、外来患者の交通費は、これはたしか五百円だと思います。そうすると、バス代にもならないわけですね。こういう状態でありまして、長崎、広島におきましては、医療保護を受けておるといいながら、実は医療保護も十分受けていない。いわんや生活保護は十分行なわれていない。ですから、医療保護も、それから生活保護も含めて、ひとつ援護法をおつくりになる意思はないかどうか。




第18号 昭和40年4月13日


○大原委員 今回の法律には出ておりませんが、予算措置の中で特別被爆者の範囲を拡大されておるわけであります。特別被爆者の範囲の拡大でけさほど藤本委員からも質問があったわけですけれども、三日以内に爆心地から二キロ以内に入った者は、これは特別被爆者として認定をする、こういうことでありますが、この方針がきまっておるというふうにわれわれは承知いたしておりますが、このことはともかくといたしまして、もう一つの点の、いままできめておりました爆心地から三キロ以外において被爆をした人であっても、放射能を多量に受けておると思われる地域については地域指定をする、こういう問題が起きていると思うのです。その地域指定について、具体的に広島、長崎においてどういう地域を濃厚地区として指定するのか、この点を、相当調査が進んでおると思うので具体的に御答弁いただきたい。
○若松政府委員 お話の、特別な地域の増加指定でございますが、長崎につきましては、西山地区というところに爆発のあとに黒い雲が流れていった、そしてあとに茶色がかったしぶきみたいなものが落ちたという記録がございまして、そこら辺を二十年の十月三日から七日の間にわたって日米共同の委員会が放射能調査をいたしました結果、そこら辺に非常な放射能が残っていたということから、いわゆるフォールアウトがそこに流れていったであろうということが予想されるわけでございます。また広島地区におきましても、爆発後一時間から一時間半の間にいわゆる黒い雨が降ったといわれる地域がございまして、それが己斐、高須地区というところに原爆の黒い雨が降ったということをいわれております。そしてその地区をやはり十月三日ないし七日間に調査いたしました結果、ほかの地区より若干放射能が多かったという点もございますので、それらの成績を考慮いたしまして、フォールアウトによる被爆を受けた者がそこらの地区にはいるはずだということから、その地域を追加指定したらいかがであろうということで、現在それに該当すると思われる具体的な町村名を書き出して知らせてもらうように現地と連絡をいたしております。
○大原委員 それはたとえば広島の場合でしたら己斐、高須地区、あるいは長崎でしたら西山地区というふうに町を指定いたしますか、地域を指定するのですか。そうすると、その町が入り組んでおる場合には、他の町の一部も指定しなければならぬというふうな事態もある、こういうことは十分予想できますね。そういうのはどういう基準でその地域を指定するのか、もう一回ひとつ具体的にお答えをいただきたい。
○若松政府委員 実は先ほど申し上げました十月三日から七日間にわたる日米調査委員の測定も、地面を漏れなく測定したわけではございませんで、飛び飛びの地点を測定いたしております。したがって、ちょうど気象図の等温曲線のように、きちっとした線を引くわけにはいかないのでございます。したがってどこで線を引くかということはきわめてむずかしい状態でございますので、やはり当時の実情から見まして、西山地区に黒い雲が流れて、黄色いしぶきが降ってきたというような地域を地元の力たちにもよく聞き合わせて、およその地域を判定する。広島の場合も黒い雨が現実にどの程度降ったか、ばらばらというところでは問題ないと思いますが、相当量の雨が降ったというような地域を包含するという形で具体的に町名をあげる。町名をあげますと、お話のように多少の出入りというものがあるかもしれませんが、それはやむを得ないと存じます。現在の二キロの線、三キロの線を引く場合でも多少の出入りはやむを得ませんので、町名でいかざるを得ないと存じております。
○大原委員 この件に関しては法律にないわけですが、法律があってもなくても、予算が通れば行政上できるわけであります。そういうのは、いつから特別被爆者の範囲を拡大することを具体的に作業いたしまして実施する、こういうおつもりなのかお聞かせをいただきたい。
○若松政府委員 この適用は、もちろん予算措置でございますが、十日以降実断ずるという予算が組んでございますので、十日までに指定したい。そのために現在、現地との調査、打ち合わせ等を進めておるわけでございます。
○大原委員 それで科学技術庁その他の方々は――もう文部省はお帰りになっていただくわけですが、やはり各研究機関は、いままで研究機関の経緯からいいますと、科学技術庁が文部省や厚生省が対立しておったけんかの中に入って、科学技術庁に持っていったというふうなこともあるというふうに私は記憶するのでありますが、そういうことでなしに、各研究機関は、研究においてもあるいは今回の白書の作成、実態調査におきましても協力できるようにやってもらいたい。科学的な根拠があるから、あらゆる英断と経験を結集するような方法でやってもらいたい。これは御出席でありますので特にこのことを強く要望いたします。これは厚生大臣にお尋ねしたいと思うのですが、関係者機関の十分なる協力のもとに実態調査をやる、こういう方針を明らかにしてもらいたい。
○神田国務大臣 いまお尋ねございましたように、被爆者の実態調査は時日もたっておりますし、またそうたびたび調査するわけにもまいりませんから、これだけの大がかりの調査で完ぺきを期したい、こういう考えございます。そこで、そうなるからには、先ほど来いろいろ御意見あるいは御議論もございましたように、各方面の御支援と御協力を得たいと思っております。いま例示されました大学のほうも当然ひとつ中に入っていただきまして、いろいろ助言、またお手伝いといいましょうか、御協力をお願いいたしたい、かように考えております。
○大原委員 特別被爆者の範囲を拡大する問題で、一つは立証方法ですね。当時は、本人が二キロとか三キロとかいう観念なしに爆心地をさまようというような現象もあるし、あるいは死体の処理とかあるいは家の整理とか、いろいろな命令を受けて――命令といいましてもこれは軍の命令とか国の命令というようなことがないから、今日は援護措置はないわけです。ないのですが、しかし半ば公然と、これはそういう動員体制の中でやられたわけであります。そこでなかなか立証の方法がむずかしいと思う。たとえば市外の他の町村から動員がかかって行ったということになれば、こういう仕事だということが立証されれば、現場を見ていなくても現地の町村なりあるいは近所の人が立証することもできるだろうし、あの人はあのほうで三日以内に爆心地から二キロ以内に入ったに違いない、こういうことを立証する方法はいろいろあると思う。そういう立証方法については、私はあまり四角四面なことを言ってもいけないから、あるいはこれに便乗する人があっても困るわけですけれども、その点については私は十分実情に沿うような方法が考慮さるべきではないか、立証方法についての御見解があればこれを明らかしてもらいたい。
○若松政府委員 おっしゃるように、立証の方法は現実にきわめて困難でございます。したがって現在の手帳の交付におきましてもそううるさいことは申しておりませんで、証明者が二人あればすなおにその証明を受け取るという形をとっております。今度の場合でも、ことにすでに古いことでございますので、なおさら目撃者とかあるいは町内会長というようなものをさがし出してやるというようなことも困難でございますので、証明する適当な人であればよろしいという程度にしてまいりたいと思います。しかし、御指摘のように、また最近におきまして広島等で不当に原爆手帳の交付を受けたということで警察にあげられるというようなことがあり、したがってまたおそれて自発的に返還をしてくるという例もございますので、そこらの辺は十分考慮いたしまして、緩急を失わない方法でやってまいりたいと存じます。




第19号 昭和40年4月14日

○若松政府委員 具体的には特別被爆者の範囲の拡大ということでございます。
○滝井委員 特別被爆者の範囲の拡大ということになりますと、この前の予算の説明によりますと、原爆投下時より三日以内に爆心地より二キロ以内の地点に立ち入った者、それから残留放射能濃厚地帯にあった者、この二つを適用して特別被爆者の拡大をやる、こうなっていますね。医療の拡充というのはこの二つをさしておるわけですか。――首を縦に振っておるからその二つですね。そうすると、原爆投下時から三日以内ということがまず一つ、それからもう一つは爆心地から二キロ以内に立ち入ったという者、その証明のしかたというのは一体どういうことでするのかということです。二つ条件がある。三日というのと二キロという距離です。焼け野原になっておって、一体どこがあの当時爆心地であったかよくわからない。立ち入っておる人は無我夢中ですから、おれは二キロ以内におったのだ、三日以内におったのだといったって、おったところが二キロであったのか、三キロであったのか、四キロであったのか、そんなものはわけがわからぬですよ。きょうは援護のほうにも来てもらっておるのだが、援護法の関係がやはりこういう関係でなかなか証明できずに困っているのがたくさんあるわけです。一体この証明を具体的にどういう形ですればいいのかということなんです。
○若松政府委員 入市者には被爆者手帳を交付しておりますので、入市者は何日に入ったということがわかっております。二キロ以内に入ったかどうかという点につきましては、おっしゃるように記憶その他が非常に不明なところがありますが、二キロ以内の町名が全部きまっておりますので、どこの町をうろついたということになれば、それは二キロ以内、それは三キロだというようなことで判断いたしておるわけでございまして、これについては具体的な証明者があればそれでよろしいというたてまえをとっております。
○滝井委員 そういうことが非常に科学的なようであるけれどもきわめて非科学的なんですよ。あの混乱の中でそんなもの忘れてしまいますよ。何という町におったか知らぬ、おれは大田町ととか田町とかいうところにおったといっても、いやそんな町は広島にないといわれたらそれまでだ。人間の記憶は三日か一週間したらきわめて薄いものになる。しかもはるかに月日の霧を通して二十年前の記憶を今度拡大してやるわけですからね。問題はこういうところにはないのではないか。問題の本質は二十六万人の全被爆者について、これから一般検査なり精密検査をおやりになるのですからね。そのおやりになった肉体的な、科学的な状態から見てこれは明らかに原爆症だというものは私はしてやったらいいのじゃないかと思う。これくらい確実な客観性のあるものはない。
〔小沢(辰)委員長代理退席、蔵内委員長代理着席〕
ときにはその中に原爆以外で白血病になった者が入っておるかもしれない。しかしそこらは、いまあなた方が三千七百九十三万円の金をかけて実態調査をやって、そうして医学的な審査を強化しよう、こうおっしゃっているのだから、それを何か非科学的に三日以内、そうして二キロ以内におった者ならいいんだというような、そんなのは、きわめて科学的のようであって非科学的ですよ。肉体を見てやればいいのだから、症状がある人はみんな特別被爆者にしてやったらいい。そのときに原爆地に行ったという証明さえあれば、私はしてやっていいと思うのですよ。こういうところがどうも役所的で、しゃくし定木でものを見ておるから、結局これで泣く人が出てくるのです。今度は、その人たちは二キロ以内におったという証明がなかったら、ならないのだから、三日以内、二キロ以内で――そういう点ではもうちょっと科学的に見て、症状があればやっていいのじゃないか、それ一本でいいんじゃないかという感じがするのですがね。
○若松政府委員 特別被爆者というものの中には、いわゆる原爆症という認定を受けた者は特別被爆者でございますし、そのほかに健康診断の際に、おっしゃるように特別の症状があって、たとえば血液関係の症状がある、肝臓機能障害がある、じん臓機能障害がある、あるいは内分泌系の障害があるというような特定の症状のある者はこれを自動的に特別被爆者にいたしております。そのほかに、現在は症状も何もないけれども、将来起こるかもしれないということも予想されますので、特にそういう現在何も症状がなくても、少なくとも三日以内に入ったものは一応特別被爆者にするというたてまえでございます。
○滝井委員 私は、これからずっと二十六万人の全被爆者について、これにいまのような三日以内に入っているという人があれば、そういう人たちのからだを一年に二回見てやればいいのですから、症状が何もなかったら何もする必要はない。だから、一年に二回ずつ必ずいわゆる経費を国が計上して、そうして見てやる。旅費さえ出してもらえれば、みんな自分のからだは大事だから見てもらいに行くわけです。それでいいのじゃないかという感じがするわけです。それから、残留放射能濃厚地区にあった者ということだって、一体その残留放射能の濃厚地区なんというものも、濃厚ということにまたその厚い薄いがあるわけですね。また、それはあなた方がこうきめてしまったわけでしょう。ところが、何というか、やはりそのときの風向きとかなんとかによって、あるいはそのときのからだの衰弱の状態とか、そういうものによって濃厚でなくたってなる人だっておるのですよ。テン・メン・テン・カラー、十人十色で、それぞれ体質が違うし、それぞれ受ける状態が違うのですから、私は、こういう、何もしゃくし定木なことを言わずに、広島、長崎に当時行った人、それから現実にその症状がある人ということで身体検査をやる腹になれば、こんなしゃくし定木なことをやらなくてもいいのじゃないかという気がするのですよ。まあこれは人数が四万二千百五十八人というように、八人というところまでつけておるところはなかなか科学的なように見えるけれども、私から見れば、これは、その八人をつけたところがごまかしであって、むしろ非科学的だという感じがするのですよ。まあ、医療の拡大というのはそういうことらしいのですが、医療を拡大するというなら、症状がある人は全部見てあげる。それから広島、長崎に入って神経質な人は一年に二回は必ず身体検査をしてあげます。もし希望があれば三回、四回してあげてもけっこうです。このくらいでいいのじゃないかと思うのです。あんまり法律をよけいつくって法匪といわれてもこれは困ったことになるんじゃないか、もう、その二十六万人というのに、それにプラスアルファだけですから、そんなに多くない。これを全部についてこれから実態調査をおやりになるという腹をきめたからには、私はそうしゃくし定木にやる必要はないような気がします。
○若松政府委員 おっしゃるように、全被爆者について健康診断を受けられるようにしてあるわけでございますから、二キロ以内におった、広島、長崎に入って来た者は入市者として手帳を受けておりますから、そういう人たちは定期の健康診断、臨時の健康診断を常に受けられるようになっておるわけでございます。その健康診断で特別な症状があった者は、今度は特別被爆者といたしまして特に一般医療についても医療費の負担をしてやるという非常に手厚いやり方をしておるわけでございます。
○滝井委員 手厚くしてもらえればけっこうです。




第16号 昭和42年6月13日

○中沢伊登子君 被爆者に渡されている被爆手帳というのですか、健康手帳、あれには二種類ありますね、特別手帳というのと一般手帳というのと。これは一体どういうふうに違うのですか。被爆者の方に伺うと、一般手帳ではたいした効力がないから、どうか一般手帳の人も特別手帳に切りかえてほしい、こういうふうに言っておられたのですが、いかがでございますか、この問題。
○政府委員(中原龍之助君) 被爆者の手帳の中に一般被爆者とそれから特別被爆者の手帳がございますことは先生がお話しのとおりでございます。この被爆者というものが規定されまして、それにさらに特別被爆者というものがあるわけでございます。そうして、実際上の手帳によりましての、何といいますか、医療上の効果といいますか、そういうものの差異としましては、一般手帳の所持者は健康診断を国の費用で年二回いたします。そのほかに、希望によりまして二回をいたすという形になっております。
それから特別被爆者につきましては、これは健康診断ももちろんでございますが、そのほかに、疾病が発見をされました場合に、その疾病の治療に対しまして、これは保険のある者は保険が優先をいたします。しかし、この自己負担分につきましては、これは国で見るという相違がございます。
なお、この被爆者の中で、被爆者の患者というものにつきまして、もう一つ、いわゆる認定患者というのがございます。これは特に原爆に基因すると思われるというようなものをいわゆる認定患者といたしまして、これにつきまして、入院に要する費用、治療に要する費用というものは全部国費で持つという形になっているのでございます。これのいわゆる範囲の問題というか、いろいろ法律ができましてから、一般被爆者とそれから特別被爆者の比率がだんだん変わってまいりまして、現在は特別被爆者のほうが多くなっている状況でございます。
○中沢伊登子君 そうすると、一般手帳を持っている人を特別の中に入れることができないのでございますか。
それからもう一つ。この間五月十六日の社労の委員会で、社会党の柳岡さんの質問に対して、胎児というものも特別被爆者として拡大をしている、こういう答弁があったようですが、親が希望すれば、その胎児はもう大きくなっておりますけれども、そういう子供にも特別手帳というものが交付されるものでございましょうか。
○政府委員(中原龍之助君) ただいまの御質問でございますが、その前に、いま一応、被爆者の定義といいますか、私それを参考までに申し上げたいと思います。
この被爆者、いわゆる一般被爆者と申すものは、これは四つに分かれておりまして、第一番目は、直接の被爆者、原子爆弾投下時に爆心地から約五キロ以内の地域にあった者というものが一つ。
それから二番目が入市者。これは原子爆弾投下後二週間以内に約二キロ以内の地域に立ち入った者。
三番目が死体処理及び救護に当たった者でございまして、これは原子爆弾が投下された際、またはその後において、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情のもとにあった者。
それから四番目に胎児。この胎児と申しますものは、先ほど一、二、三と申し上げました者の、いわゆる被爆した際にすでに胎児であった者ということでございます。
それから特別被爆者は、これは近距離被爆者、これが一つの問題でありまして、これは三キロ以内にあった者及びその胎児。
それから二番目が認定患者。先ほど申しました放射能に直接基因する疾病として厚生大臣の認定を受けたいわゆる原爆症の患者。
それから三番目が特定の疾病があると認められた者ということになっている。この特定の疾病というものは、たとえて言うならば、健康診断の結果、造血機能の障害、肝機能の障害があるというような一つの疾病から見た分類でございます。
それから四番目は入市者でございまして、原爆が投下されたあと三日以内に、しかも二キロ以内に立ち入った者及びその胎児。
それから五番目に、放射能の濃厚地区にあった者。これは、いわゆる三キロ以上であっても特に濃厚な放射能があった区域内にあった者がいわゆる被爆者として認定をされている。
したがいまして、結局、放射能を強く受けたというふうに思われる者、そうでなくて、まあ軽かったと思われる者、大体こういう二つの分類でございます。
○中沢伊登子君 その被爆二世には健康手帳というものは渡されませんかと伺ったのです。
○政府委員(中原龍之助君) したがいまして、ただいま申し上げました胎児というものにつきましては、その爆弾が落ちたときにすでに胎内に入っていた、そうして被爆を受けて生れたという者につきましては、被爆者手帳が渡されておるわけであります。
○中沢伊登子君 被爆者でいま一番困っているのは、お医者さんに行っても、病院に行っても、被爆手帳を出してそれで診断をしてもらうとき、健康診断をしてもらったりなんかするときに、お医者さんが非常にめんどうくさがる。普通の健康保険でかかりますとカルテにいろいろ書きますね。その上に、被爆手帳の中に書くものがあって、そういうことをしなければならない。そういうことでお医者さんが非常にめんどうくさがる。あるいは、これはマル原の患者だということを非常に大きな声で言われる。そういうようなことで、たくさん人がいると、非常に恥ずかしいような、侮辱されたような感じを受ける。非常につらい。それで、できることならば、お医者さんのほうも、かかる患者のほうも、もう少し書類を簡単にしてもらうわけにはいかないだろうか、こういうような要望があるわけであります。
それから、広島とか長崎ではどこの病院に行ってもいいようでございますね。そうですが。そこまで一ぺん答弁してください。
○政府委員(中原龍之助君) 原爆の被爆者の方々が健康診断を受けられたり、あるいは治療を受けられるところにつきましては、実は指定をしてあるわけなんであります。これは広島、長崎、ここに居住する人たちが非常に多いわけで、当然そういう指定された医療機関が多いわけでございます。それから他の県におきましても、もちろん指定した機関がございます。しかし、そこに居住するところの被爆者の数はわずかでございまして、非常に分散をしているという関係がございまして、あるいは場所によっては若干そういう医療機関が遠いところにあるかとも存じます。ただ、先ほどおっしゃったいわゆるお医者さんが不親切であるかどうかにつきまして、私は実はただいまはじめて聞くわけでございまして、患者を見る上におきまして、ほかのそれと差別があるということはあまり好ましくないことでございます。私どもも、そういう御忠告がありますならば、これは心がけて善処いたしたいと思います。



第12号 昭和43年4月12日

○中村順造その第二は、認定被爆者の範囲の再検討についてであります。
政府が今回提案した原爆被爆者対策を概括して言えることは、第一に対策の重点をきわめて少数の認定被爆者に限定したことであります。特別手当、医療手当は約三千六百名の認定被爆者を対象としており、昭和四十二年三月末現在、政府自身が認めておる登録被爆者三十万一千六百九十五名の、実にこの数は一%強にすぎないのであります。また、その他、健康管理手当支給対象人員一万六千人も一登録人員の五%にすぎないのであります。今回の施策の支給対象が以上のように非常に狭いものであり、残余の被爆者は全く取り残され、認定被爆者と他の被爆者との対策に著しい格差のあることは、被爆者対策として重大な問題があります。政府は、従来、この認定制度は医学の立場を尊重しているといいますが、たとえば原爆小頭症が認定疾患に加えられたのは実に昨年のことであり、医学の権威も、事、原爆に関しては一〇〇%適用されないことをも考慮に入れ、現在多くの被爆者が不治の病床にありながら、厚生大臣の認定疾患にも入れられず、せっかくの健康管理手当の対象とならず、むなしく死を待つ状態に置かれており、しかも、人命の問題は一刻を争う問題であります。政府は、この際、多くの現場の担当医師や研究者からその不合理性を指摘されておる認定制度を、医学の権威に名をかりて固執することなく、積極的に人道的、」科学的に政治的配慮を行ない、被爆者の健康と生活擁護のため再検討を行ない、万全を期する用意があるかいなか、明確な答弁を求めます。


第14号 昭和43年5月16日

○大橋和孝君 それから援護措置の対象についてちょっとお尋ねしたいと思いますが、今回の特別措置は、認定患者を中心として、現に疾病にかかっている者のうちの一部の者が対象となるだけでありまして、先ほどいろいろお話をしておりましたのでありますが、これを考えてみますと、特別措置対象者数は、厚生省の積算を見てみますと、特別手当が三千五百六十四人、医療手当が四百三十七人、健康管理手当が一万五千八百五十二人、介護手当は特定疾患を認定した患者だけが二千八百四十二人、合計二万二千六百五十九人だけと報告されております。
被爆者の中には、現に疾病でなくても、被爆のために労働力を阻害されて正常な社会生活を営むことのできないような者や、あるいは、原爆によって家族と死別してしまったために、いわゆる原爆孤老といいますか、不遇な生活を送っているような人もまだ多数あります。このような被爆者に対しましては、何ら援護措置が講ぜられていないのは不都合のように思うわけでありますが、こういうようなものも範囲を拡大して援護措置の中の対象にしてもらったらいいと思うのですが、そういう点をお伺いいたします。
○政府委員(村中俊明君) 被爆者の一〇%弱の数に今回の特別措置法の適用を受ける対象がなるわけでございますが、この対象が選定された経緯といたしましては、御承知のとおり、被爆者の健康診断から出発し、健康的に被爆による影響があって、それが陰に陽に影響しながら生活環境なりあるいは経済的な事情なりが悪い方向へ追いやられるという方々に対する健康の面、福祉の面の手当であるわけでございます。私どもも、今回の特別措置の内容がこれで将来ともいいと、完全であるというふうには判断いたしておりませんが、現時点では一応被爆者に対する福祉の面の措置はこの程度でよかろうというふうな判断をいたしたわけでございます。





第30号 昭和44年7月8日

○参考人(庄野直美君) それでは、最初の私がやりました調査という点では、二つほどあるのでございますが、その一つは、残留放射能、通称二次放射能と呼ばれておるのでございますが、この放射能の量がどの程度あったのかという問題が、実は、戦後長い問の懸案であったのでございます。御存じのように、サンフランシスコ条約が締結されますまでは、いわゆるプレスコードの中で原爆タブーの時代と呼ばれておりまして、研究などの面でも、非常に制限が加えられておったわけです。その時代は、わずかにABCCがいわば精力的に調査研究をやっておったわけでございますが、ところがABCCの見解は、そのプレスコードの時代はもちろん、その後、私が知っております範囲では、昭和三十年ごろまでの間においても、残留放射能あるいは二次放射能、つまり後日、広島あるいは長崎に入市した者は、放射能の影響はなかったのではないか、こういうような見解がなされておったと思います。ところが、現実に広島、長崎に後日入市者で発病しあるいは死亡する人がたくさんいる、これは一体どういうことなのかということが問題になりまして、昭和三十一年ころに、地元の医師あるいは被爆者の間から残留放射能の問題の――私、物理学の関係なので、物理学的な観点から、そういうものがあったのか、なかったのか、あったとすれば、どの程度の量があったと推定されるのか、これをひとつ研究してみてくれという要請があったのでございます。これは非常に重要なことだと思いまして、ここにいらっしゃいます原田さんなどとも御相談して、とにかく研究してみようじゃないかと、ただし、その場合に、いまのようにABCCの見解とはおそらく衝突する可能性もあるし、それから、まあ、当時の状態では、研究資金を得ると申しましても、国家との関係も、何と申しますか、援助を仰ぐような余地がないし、したがって、私たちは、いわゆるポケットマネーを出しまして、約二十名くらいの物理学、それから化学、それから医学関係の人が自主的に研究会を組織して、残留放射能の問題に取り組んだのでございます。これは、ある程度成果をあげたと自負しておるのでございますが、おそらく、私たちのそういう研究が契機になりまして、昭和四十年だったと思いますが、ようやく二次放射能の被爆者も手帳をもらえる、あるいはその中の特殊な人には特別被爆者と認定されると、こういう経過になってきたのじゃないかと思っております。



第18号 昭和50年6月17日

○参考人(田沼肇君)隅谷教授は医療法制定当時の政府の認識について触れておられますが、それ以後の医療法、特別措置法の数次にわたる改正の経過を見ても、実はこの隅谷教授の主張を裏づけるものがはっきりとあるというふうに言わざるを得ません。もう周知のことでありますけれども、昭和三十五年には特別被爆者の制度が設置されました。被爆者の中の「特別」という部類を特に抜き出す制度であります。そして、先ほど来論議になっております、爆心からの距離で被爆者を区別する非科学性ということが背景にありながら、実際にはこの特別被爆者の制度が、昭和三十七年には三キロメートル以内に拡大される、昭和四十年には政令の改正で入市被爆者が設けられる、そしてさらに黒い雨だのの特別地域、いわゆる五号被爆者の制度が加えられるというぐあいに、法律そのものの改正の段取りを見てみても、この被爆の実態の本当の残虐な姿というものがまだ解明されてないということであり、それは逆に言えばこの原爆被爆というものがいかに深刻なものであるか、一般戦災者に対する援護も私は必要だし、国の責任と考えますが、しかし、それにも増しての特殊性ということがここでは決して無視されてはならないというふうに考えるものでございます。